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ぶらり鳥取紀行3 〜三徳山編Part2〜

■ぶらり鳥取紀行〜三徳山編Part2〜

地蔵堂を過ぎてしばらく登ると、鐘楼堂にたどり着きます。

重さがおよそ2トンというこの鐘、誰もが「どうやって運んだんだろう…」と疑問を持つに違いありませんが、今もよく分からないのだそうです。
それもまた三徳山の持つ不思議のひとつ。

踏ん張れないので、腰をかけて思い切り撞きます。
この鐘で権現さまに「今から行きますよ〜」とお知らせしてから奥院・投入堂へと赴くのです。



滑り落ちたら即死、と思わせるような崖をつたいながら、納経堂・観音堂・元結掛堂へとたどりつくと、投入堂まではあと一歩!

否が応にも期待が高まります。



そして…


細い崖道を曲がると突然視界が開け、国宝 投入堂がその姿を現します。

(とうとう…!)と誰もが絶句するその凛々しくも可憐な姿。

蔵王権現と同じく、左右非対称の美しい堂が、まさに崖の穴の中にすっぽりと収まっていました。

山の上の涼しい風に吹かれながら、この華奢な投入堂の姿を眺めていると、このプロジェクトもいよいよクライマックス! と少しだけセンチメンタルな気分にさせられてしまうのでした。



土門拳がその著作『古寺を訪ねて東へ西へ』の中で「わたしは日本第一の建築は? と問われたら、三佛寺投入堂をあげるに躊躇しないであろう」と語ったその姿。

安藤忠信が「世界中にこれだけ険しい地形に造られた建築は知らない」と語ったこの地。

ぜひともご自分の五感で感じることをお勧めします!


しっかりと投入堂の姿を目にやき付けた後は、崖から転げ落ちるようにして下山。

「行きはヨイヨイ、帰りは怖い」の歌どおり、さらに危険度がパワーアップ。
必死すぎて写真も全然撮っていません…。


各所で良順さんの説明をいただいたりしながら、ゆっくりとしたペースで丸々3時間。
入山口にあった橋を渡り「この世」に戻ってきました。



 画像提供:鳥取県立博物館
そして最後に宝物殿に鎮座ましましたる「重文 蔵王権現立像」とご対面。

ここには「TanaCOCORO[掌] 蔵王権現」のモデルとなった像以外にも6体の蔵王権現像が置かれており、どれももともとは投入堂に祀られていた像です。


右足ではなく左足を上げている像や、宝冠に髑髏を掲げているものなどその像容はバラエティに富んでおり、まだ‘蔵王権現’の形式が定まっていない時代からのものであることがうかがえます。

7体の並ぶその様はまさに圧巻で、しかもこれがあの投入堂にあったことを思うと鳥肌が収まりませんでした。



さて、道場での修業を終え生まれ変わった私たちは、新しい肉体にパワーを注入すべく三佛寺さんで精進料理をいただきました。

とち餅や山菜料理、豆富など次から次へと運ばれる食材に感謝しながらペロリと平らげ、無事に修行を終えたことを喜び合ったのでした。

三徳山から三朝町に向かうバスの中では全員爆睡。マンガのように気持ちよくバタンキュー。
こうして「三徳山 心を洗う修行ツアー」は幕を閉じたのでした。


三朝町へもどり、旅館のご好意でお風呂に浸からせていただき、その後某紙の取材やらお土産物色をしていると、あっという間に東京へ戻らなければならない時間に。


後ろ髪をさんざん引っ張られながらも、三朝町に、そして鳥取県に別れを告げたのでした。



◆ぶらり鳥取紀行 番外編へ続く